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名古屋地方裁判所 昭和33年(ワ)1347号 判決 1960年3月10日

原告 国

訴訟代理人 林倫正 外四名

被告 服部芳郎 外四一名

主文

一、原告に対し

被告服部芳郎は別紙物件目録(2) の建物を、

被告丑田雄山は同(3) の建物を、

被告市川浅一は同(4) の建物を、

被告加藤惣市は同(5) の建物を、

被告水野正利は同(6) の建物を、

被告神谷貫一は同(7) の建物を、

被告名古屋市は同(8) 、(21)、(24)の各建物を、

被告吉田みねは同(9) の建物を、

被告太田一彦は同(10)の建物を、

被告岩田清は同に(11)の建物を、

被告鵜飼修一は同(12)の建物を、

被告岡田繁は同(13)の建物を、

被告植村品一は同(14)の建物を、

被告名取貞子は同(15)の建物を、

被告浅井松右エ門は同(16)の建物を、

被告宇野明郎は同(17)の建物を、

被告真田喜一は同(18))の建物を、

被告伊藤鹿太郎、同服部芳郎、同丑田雄山、同市川浅一、同加藤惣市、同水野志き子、同神谷貫一、同深川徳次郎、同吉田みね、同鵜飼修一、同岡田繁、同植村品一、同石垣晃、同浅井松右エ門、同宇野明郎、同横野らく、同近藤璋、同江口定市、同安井源次郎、同伊藤精一、同高木光浦、同伊藤昌雄同鈴木弥、同山田伊三郎、同加賀政一、同阿部幸雄、同山田保夫は同(19)の建物を、

被告伊藤鹿太郎は同(20)の建物を、

被告近藤璋は同(22)の建物を、

被告加賀政一は同(23)の建物を、

被告江口定市は同(26)の建物を、

被告友斎良一は同(27)の建物を、

被告岡田正憲は同(28)の建物を、

被告高木光浦は同(29)の建物を、

被告伊藤銀次郎は同(30)の建物を、

被告鈴木弥は同(31)の建物を、

被告石部一は同(32)の建物を、

被告伊藤精一は同(33)の建物を、

それぞれ収去して、その敷地を明渡せ。

二、原告に対し

被告佐藤よしゑは同(8) の建物を、

被告石垣晃は同(15)の建物を、

被告横野らく、同板倉猛は同(21)の建物を、

被告山田伊三郎は同(24)の建物を、

被告安井源太郎、同山田保夫は同(27)の建物を、

同阿部幸雄、同山田

被告阿部幸雄、同加藤淑信は同(28)の建物を、

被告高木富子、同山口十九男は同(29)の建物を、

被告伊藤昌雄は同(30)の建物を、

それぞれ明渡せ。

三、訴訟費用は被告らの負担とする。

事実

原告代理人は主文第一、二、三項と同旨の判決及び仮執行の宣言を求め、その請求原因として、

一、名古屋市中区南外堀町六丁目一番 宅地一万六千五百三十九坪四合五勺は原告国の所有である。

二、ところが、被告らはいずれも原告国に対抗できる正当の権限なく、現に国立名古屋病院の敷地の一部に属する前項の土地の一部宛を不法に占有している。

すなわち

被告服部芳郎は別紙図面記載の(2) の部分の土地上に同物件目録記載の(2) の建物を所有し

被告丑田雄山は同(3) の土地上に同(3) の建物を所有して居住し、

被告市川浅一は同(4) の土地上に同(4) の建物を所有して居住し、

被告加藤惣市は同(5) の土地上に同(5) の建物を所有して居住し、

被告水野正利は同(6) の土地上に同(6) の建物を所有して居住し、

被告神谷貫一は同(7) の土地上に同(7) の建物を所有して居住し、

被告名古屋市は同(8) 、(21)(24)の土地上に同(8) 、(21)(24)の建物を所有し、

被告吉田みねは同(9) の土地上に同(9) の建物を所有して居住し、

被告太田一彦は同(10)の土地上に同(10)の建物を所有し、

被告岩田清は同(11)の土地上に同(11)の建物を所有し、

被告鵜飼修一同(12)の土地上に同(12)の建物を所有して居住し、

被告岡田繁は同(13)の土地上に同(13)の建物を所有して居住し、

被告植村品一は同(14)の土地上に同(14)の建物を所有して居住し、

被告名取貞子は同(15)の土地上に同(15)の建物を所有し、

被告浅井松右エ門は同(16)の土地上に同(16)の建物を所有して居住し、

被告宇野明郎は同(17)の土地上に同(17)の建物を所有して居住し、

被告真田喜一は同(18)の土地上に同(18)の建物を所有して居住し、

被告伊藤鹿太郎、同服部芳郎、同丑田雄山、同市川浅一、同加藤惣市、同水野志き子、同神谷貫一、同深川徳次郎、同吉田みね、同鵜飼修一、同岡田繁、同植村品一、同石垣晃、同浅井松右エ門、同宇野明郎、同横野らく、同近藤璋、同江口定市、同安井源次郎、同伊藤精一、同高木光浦、同伊藤昌雄、同鈴木弥、同山田伊三郎、同加賀政一、同阿部幸雄、同山田保夫等は同(19)の土地上に同(19)の建物を共有し、

被告伊藤鹿太郎は同(20)の土地上に同(20)の建物を所有して居住し、

被告近藤璋は同(22)の土地上に同(22)の建物を所有して居住し、

被告加賀政一は同(23)の土地上に同(23)の建物を所有して居住し、

被告江口定市は同(26)の土地上に同(26)の建物を所有して居住し、

被告友斎良一は同(27)の土地上に同(27)の建物を所有し、

被告岡田正憲は同(28)の土地上に同(28)の建物を所有し、

被告高木光浦は同(29)の土地上に同(29)の建物を所有して居住し、

被告伊藤銀次郎は同(30)の土地上に同(30)の建物を所有して居住し、

被告鈴木弥は同(31)の土地上に同(31)の建物を所有して居住し、

被告石部一は同(32)の土地上に同(32)の建物を所有し、

被告伊藤精一は同(33)の土地上に同(33)の建物を所有して居住し、

被告佐藤よしゑは名古屋市所有の右(8) の建物に、被告石垣晃は名取貞子所有の右(15)の建物に、被告横野らく同板倉猛は名古屋市所有の右伽の建物に、被告山田伊三郎は名古屋市所有の右(21)の建物に、被告安井源太郎、同山田保夫は友斎良一所有の右(27)の建物に、被告阿部幸雄、同加藤淑信は岡田正憲所有の右(28)の建物に、被告高木富子、同山口十九男は高木光浦所有の右(29)の建物に、被告伊藤昌雄は伊藤銀次郎所有の右(30)の建物に、それぞれ居住し、原告所有の前記土地の各一部を占有している。

三、被告らが右土地を不法に占有するに至つた経緯は次のとおりである。

(イ)  被告らの占有する右地域(以下本件土地という)は終戦に至るまで旧名古屋陸軍病院東練兵分院の敷地の一部として使用されていたが、戦禍により該地上の建物大部分が焼失し、暫らく空地となつていた。戦後間もなく右分院は国立名古屋病院として発足し、厚生省としてはその頃より該病院を中部日本における綜合モデル病院とする予定で該空地の利用方法について計画を進めてきた。

(ロ)  ところが、昭和二十年十一月頃被告名古屋市より原告(当時所管庁現東海財務局)に対し戦災者を一時収容するに必要な越冬用の簡易住宅を建設するため本件土地を含む四千六百十坪の土地について一時使用許可の申請があり、事情やむをえないものと認められたので、原告は昭和二十一年一月十二日付で被告名古屋市に対し、用途は一時的な越冬用簡易住宅の建設に限ること、使用期間は昭和二十一年四月三十日まで無償とする、使用権を第三者に譲渡しないこと、使用期間中といえども国において必要とするときはいつでも原状回復のうえ返還すること等の条件で、一時使用の目的を以て、これが一時使用を許可したのである。そこで被告名古屋市は前記四千六百十坪の土地に応急簡易住宅バラツク建柿板葺天井なし二戸建一戸六坪百三十三戸を建築し、戦災者を収容し該土地を使用するに至つたのである。

(ハ)  その後右期間終了後も前記病院建設計画が確定するに至らず、又一方名古屋市よりも右土地の一時使用認可申請があつたので、原告は被告名古屋市に対し昭和二十一年五月一日以降昭和二十二年三月三十一日までを使用期間とし、有料としたほかは従前と同一の条件目的を以て、これが一時使用を認可し、更に同様の事情から昭和二十二年四月一日より昭和二十五年三月三十一日までの間各年度毎に各年度の始めにおいて、それぞれ一時使用を更新認可してきた。

ところが、昭和二十四年五月頃に至り、厚生省における第一次国立基幹病院整備計画の一環として国立名古屋病院の建設計画が確定したので原告は被告名古屋市に対し昭和二十四年六月十四日付を以て前記土地の一時使用を取消す旨及び該土地上の建物を収去して昭和二十五年三月三十一日限り返地するよう通告した。而して右通告はおそくとも同月二十日頃までに名古屋市に到達しているから、民法第六百十七条によりその後一年を経過した昭和二十五年六月二十日に本件土地に対する名古屋市の使用権は消滅したといわなければならない。

然るに、名古屋市は住宅事情を理由に昭和二十六年度に至つても、遂に右土地を返還しなかつた。因みに被告名古屋市では既に、前記の許可条件に反し原告不知の間に前述簡易住宅の大部分を他の被告らを含む被収容者居住者等に対し払い下げていた。もつとも被告名古屋市は右払い下げに際し、原告に返還する関係上必要とするときはいつでも該建物を収去し敷地を明渡すべき旨の条件を付し、従つて払下価格も材木値段により評価されていたものである。

これがため、原告は国立名古屋病院建設計画上重大な支障を生じたので、その間再三被告名古屋市に対し該土地の返還を求めた。しかし当時の住宅事情からして前記百三十三戸の建物を撤去することは困難と認められたので、土地返還期限を一時猶予することとし、且つ、原告における国有財産管理手続上の形式を整える趣旨から、前記取消通告による一時使用認可の失効後においても形式上一時使用認可の手続をとることとして、昭和二十六年八月九日付で被告名古屋市に対し昭和二十七年三月三十一日まで一時使用を認可する旨通知したものである。従つて右は被告名古屋市に対し該土地の一時使用を認可したものではなく、土地の返還期限を昭和二十七年三月三十一日まで猶予したものに過ぎない。

仮りにそうでないとしても、原告は被告名古屋市に対し昭和二十七年四月一日以降については本件土地の使用を認可したことはないから、被告名古屋市の本件土地を使用する権限は昭和二十七年三月三十一日限り消滅したものといわねばならない。

仮りに右土地の賃貸借が一時使用の目的のものでないとしても、国有財産法(昭和二十三年法律第七十三号)第二十四条第一項には「普通財産を貸付けた場合においてその貸付期間中に国又は公共団体において公共用、公用又は国の企業若しくは公益事業の用に供するため必要を生じたときは当該財産を所管する各省各庁の長はその契約を解除することができる」と規定されている。

ところで、国立名古屋病院が公衆を対象とする国の医療機関であつて、該病院の施設を施すために国有財産である本件土地を使用することが公益の用に供するものであること多言を要しないのである。ところで原告は被告名古屋市に対し昭和二十四年六月十四日付で昭和二十五年三月三十一日までに該土地の返還を求める旨通知しているのであるから、本件土地の賃貸借は同日限り終了したものというべきである。

仮りに右主張が認められないとしても、被告名古屋市は前述の如く、爾余の被告らに対し本件土地を含む地帯を前記の使用許可条件に違背し原告の承諾を得ずに該土地を転貸若しくは借地権を譲渡したものであるから、原告は本訴において右賃貸借解除の意思表示をする。

以上の主張がすべて容認されないものとしても、原告は名古屋市との間の本件土地賃貸借を国有財産法第二十四条に基づき本訴において解約する。

右のとおりで、被告らが別紙物件目録記載の各建物をそれぞれ所有ないしこれに居住して、これらの敷地である本件土地を使用占有することは、何等原告に対抗できる権限に基かない不法なものであり、従つて被告らにおいてそれぞれ所有ないし居住する右建物を収去明渡すと共に該建物敷地を原告に対し明渡すべき義務のあることは明らかである。よつて被告らに対し本訴を提起した次第であると述べ、

被告名古屋市の代理人は「原告の請求を棄却する、訴訟費用は原告の負担とする」との判決を求め、答弁として、

原告主張一、二の事実(但し不法占有の点を除き)、被告名古屋市が原告主張の如く別紙図面(8) (21)(24)の土地上に同物件目録記載(8) (21)(24)の建物を所有していることは認める。

原告主張三(イ)の後段の点は不知、同前段の事実は認める。同三(ロ)の事実のうち末尾の建築戸数の点を除いて、他は認める。被告名古屋市の建設した越冬用簡易住宅バラツク建柿板葺、天井なし、二戸建一戸六坪は百九戸であり、他は所謂庶民住宅二十四戸である。同(ハ)のうち、被告名古屋市が右簡易住宅の大部分を原告主張の如く居住者等に払下処分したことは認めるが、右処分が原告の承諾を得ないものであり且つ許可条件に反するとの原告主張には同意できない。

被告名古屋市が本件土地等の使用を開始し、其後原告から再三明渡要求があつたけれども、土地の返還が遅延し、国立名古屋病院の建設計画に支障を生ぜしめ、現在に至つた事情の経過は次のとおりである。

名古屋市は昭和二十一年一月十二日国の認可を受け、同年四月三十日まで元名古屋陸軍病院東練兵場分院跡三千三十二坪に元第三師団経理部第一倉庫敷地を併せ合計九千六百坪を戦災者の越冬対策として応急簡易任宅建設のため無料で借受け、昭和二十二年度からは使用敷地の実測に基き右分院跡地二千八百坪につき借地料を支払い、以後建物の除却処理に伴い、年度毎に坪数を調定し、相当借地料を支払つてきた。昭和二十一年八月六日本件建物を含む前記簡易住宅百九戸について市営住宅としての公用を開始し、昭和二十二年十月以降昭和二十四年四月までに、市指定の期日には移転撤去すべき条件で、内百三戸を入居者にそれぞれ分譲した。その後昭和二十四年六月十四日に国立名古屋病院の施設拡充計画実施上必要であるという理由で、国から昭和二十五年三月三十一日を期限として当該敷地の返還要求があつたが、昭和二十五年度も国の納入告知書に応じ二千八百坪につき借地料を支払い、さらに昭和二十六年八月九日付で継続使用の認可を得て使用を継続した。引続き名古屋市は昭和二十七年四月同年度継続使用の認可申請をしたが、昭和二十七年六月十二日付で国から「昭和二十一年一月十二日認可の一時使用は昭和二十七年四月二十八日平和条約の発効に伴い普通財産の一時使用取扱規定が廃止されたので同日以降失効、政府方針は将来使用の場合は売払うから八月三十一日までに申請され度い」旨の通知及び昭和二十七年九月十五日には「引続き使用したいときは申請されたい」旨の通知があつたので、市は改めて十一月一日昭和二十七年度の申請書を提出したところ、同月十日国から昭和二十四年六月十四日付の土地返還通告に基き土地の返還要求があつた。其の後昭和二十八年四月二十三日東海財務局長より同年七月末までに、返還期限の昭和二十五年三月三十一日を経過し事業上支障があるから返還されたい旨の通知、同二十八年七月十五日にも同趣旨の要求があり、同月二十四日には昭和二十七年度分普通財産使用弁償金の納入督促があつたので、市は昭和二十八年十二月四日これを納入した。

一方名古屋市は、国の国立名古屋病院建設計画に応じ住宅の立退をすすめるため、昭和二十八年七月三十一日当時同地上に在つた住宅八十五戸の内、右計画のため緊急処理を要する三十七戸に対し移転先住宅を提供し、同年八月末までに立退くよう催告し、右三十七戸(内未分譲住宅六戸-別紙(8) (21)(24)の建物を含む)に対する住宅使用料、土地使用料を同年八月一日より徴収しないこととし、さらに同年十二月には爾余の全住宅四十八戸に対しても立退を催告し、十二月一日から土地使用料を徴収せず、而して昭和二十八年度中に約二十二戸を移転等処理し、其後昭和二十九年六月にも当面工事に支障ある二十六戸に対し他の市営住宅を指示して転居を勧奨して同年中において約十九戸を処理することができた。右の情況に応じ市は国に対し昭和二十八年十二月十七日付で六百七十坪、昭和二十九年三月二十七日付で三百五十坪の使用を辞退した。昭和三十年に入り国の国立名古屋病院第三次建設計画決定があつたので、さらに市は同年二月以降残存の約四十七戸に対し他の市営住宅への転居を勧奨し、約四戸を処理し一応計画どおりの除却をすることができたが、その後も土地の返還に努め、昭和三十三年八月現在の未処理戸数は三十三戸となつている。市としては本件の元清水門簡易住宅の処理については別の簡易住宅に比べ居住者の意向を尊重し移転先の提供等に許す限り最大の協力をする方針の下に処理してきたのであるが、当該居住者らが借地法借家法の適用を主張し、辺鄙でない適当な土地を選定して月賦分譲又は賃貸すること、移築費用市負担ということを要求して譲らなかつた関係上、事態を今日にせんえんせしめてきたと述べ、

被告伊藤精一は、答弁として、不法占有の点を除き原告主張(33)の建物が同被告の所有であり、また同(19)の建物が他の被告らとの共有に係るものであり、該敷地を含む原告主張の土地が国の所有であることは認めると述べ、

被告名古屋市、同伊藤精一以外の被告ら訴訟代理人は「原告の請求を棄却する、訴訟費用は原告の負担とする」との判決を求め、答弁として、

不法占有の点を除き、原告主張の土地が国の所有であり、被告らが原告主張の当該各家屋をそれぞれ所有ないし居住占有していることは認める。国と被告名古屋市との間における本件土地使用関係の内容は知らない。

被告らは昭和二十二年一月頃より同二十四年一月頃までに順次原告主張の各家屋を譲受けて、該敷地の賃料を名古屋市を通じて国に支払つてきた。勿論右敷地を賃貸する際一時使用の特約はなく、期限の定めなく借受けたものである。国立名古屋病院が建設されることに決定したのは昭和二十七年九月のことであり、それで原告は被告名古屋市に対し本件土地の返還を求めてきたのであるそこで名古屋市も被告らに対し本件土地の賃貸借を解除し地上建物を収去し該土地の明渡を通告するとともに昭和二十八年八月一日以降の地料の受領を拒絶したので、同日以降地料は弁済供託している。被告らは昭和二十一年より長年月の間賃貸してきているのであるから、一時使用の賃貸借とはいい難いのみならず、仮りに一時使用の目的のものであるとすれば借地人に不利な契約というべきであるから、この部分は無効である。

原告は国立名古屋病院建設のため本件土地の明渡を求めるのであつて、公共の為めであるからいつでも解除できると主張するが、被告らは昭和二十一年より居住のため本件土地を使用しているのであつて、後日に至り病院建設のためといつて明渡を求めることは権利の濫用というべきである。

また、原告は名古屋市が無断で被告らに本件土地を転貸したことになるから契約を解除する旨主張するけれども、原告は右転借の事実を知りながら永年に亘り地料を受領していたものであり、ひつきよう原告は黙示に本件土地の転貸を承諾していたものというべく、原告の右主張は失当であり、契約解除は無効である。

以上要するに被告らは適法に借地法の保護を受けるべきものであるから、原告の請求棄却の判決を求めると述べ、

証拠として、原告は甲第一号証の一、二、同第二ないし第十八号証、同第十九号証の一ないし十、同第二十ないし第二十二号証を提出し、証人西垣勇、同広田昭の各証言を援用し、乙及び丁号各証の成立を認め、被告名古屋市は乙第三、四号証、同第六ないし第十一号証、同第十二号証の一、二を提出し、被告伊藤精一は甲第一号証の成立を認めるが、爾余の甲号各証の成立は不知と述べ、被告名古屋市、同伊藤精一を除く爾余の被告ら訴訟代理人は丁第一号証の一ないし九、同第二号証の一ないし十、同第三号証の一ないし七、同第四号証の一ないし十、同第五号証の一ないし九、同第六号証の一ないし八、同第七号証の一ないし九、同第八号証の一ないし九、同第九号証の一ないし十一、同第十号証の一ないし五、同第十一号証の一ないし十、同第十二号証の一ないし九、同第十三号証の一ないし十、同第十四ないし第十七号証、同第十八号証の一、二を提出し、証人宇野貞市、同山城奈良彦の各証言、被告伊藤鹿太郎同浅井松右エ門各本人尋問の結果を援用し、甲第一号証の成立は認めるが、他の甲号各証の成立は不知と述べた。

理由

本件土地が国有地で、被告らが原告主張の如く同地上に原告主張(1) ないし(33)の建物を所有或いはこれに居住していることは当事者間に争ない。

次に成立に争のない甲第一号証の一、二、乙第三ないし第七号証、丁第一号証の一ないし九、原告国と被告名古屋市との間においては成立に争なく、爾余の被告らとの間においては公文書なるにより成立を是認できる甲第二ないし第十八号証、同第十九号証の一ないし十、証人西垣勇の証言及び弁論の全趣旨を綜合すると次のような事実が認められる。

本件土地は戦前名古屋陸軍病院東練兵場分院敷地の一部であつたが、終戦で陸軍省より大蔵省が雑種財産としてこれを引継ぎ、其後昭和三十一年三月厚生省に所管換され現在に至つていること、ところで右東練兵場分院は今次大戦による罹災で大半の建物を焼失したが、戦後連合軍の指示に基き厚生省所管国立名古屋病院として発足したこと、当時政府は、終戦直後の切迫した住宅事情に鑑み、旧陸海軍より大蔵省引継の国有財産の応急的活用を図ることの一環として、昭和二十一年十月十二日付で名古屋市に対し本件土地を含む九千六百坪の土地(右分院及び第三師団第一倉庫跡地)を罹災市民の応急簡易住宅建設のために無償で昭和二十一年四月三十日迄を期間としてこれが一時使用の認可を為し、その条件として名古屋市は該土地を右目的以外に使用し又はその権限を第三者に譲渡してはならない、これに違背したとき又は政府において必要を生じたときは使用期間中と雖も使用認可を取消すことができる、この場合名古屋市は指定期限迄に自己の費用を以て地上物件を除去し原状回復の上返還すること、期間満了のときも同様とする等の条件のあつたこと、名古屋市は右使用認可に基き該地内東練兵場分院跡地上に柿板葺天井なし二戸建一戸六坪の簡易住宅百九戸及び略ぼこれに類する庶民住宅二十四戸を建設し、其後昭和二十五年三月三十一日迄一年毎に名古屋財務局長より土地一時継続使用の認可をうけてきたこと、もつとも昭和二十一年五月以降有償となり、国の納入告知に応じ土地使用料を支払つてきたこと、昭和二十四年六月十四日名古屋財務局長は名古屋市に対し、右分院跡地二千八百坪の土地につき、東海北陸地区の中央国立病院としての施設拡充計画実施上必要であるとして、右土地を昭和二十五年三月三十一日迄に地上物件を撤去し原状回復の上返還されたい旨の通告をしたけれども、名古屋市では昭和二十五、六年度とも従前どおり国より右土地使用料の納入告知があつたのでこれを納入しているのみならず、昭和二十五年度については土地継続使用の認可はなかつたが、昭和二十六年度には同年、八月九日付を以て名古屋財務局長より期間昭和二十六年四月一日以降昭和二十七年三月三十一日迄とする右土地一時使用の認可を受け、土地を引続き使用してきたこと、しかし昭和二十七年度以降においては、国立名古屋病院施設拡充計画の予算措置が講ぜられ、同年十二月本館の建築に着工できる段階に進み、引続き病棟等諸施設建設の政府方針も確立したので、爾後名古屋市に対しては右土地の使用につき使用弁償金納入告知手続をとり、土地使用の認可をしないで、屡次に亘り土地の返還を求めるようになつたこと、本件建物を含む簡易、庶民住宅百三十三戸は前述のとおり名古屋市の建設したものであるが、昭和二十二年から昭和二十四年一月頃にかけ一部を除いて大部分が各居住者に分譲され、分譲者には建物敷地を転貸する形式となつていたところ、右のように国からの返還要求があつて、名古屋市は昭和二十七、八年頃より各居住者に対し立退交渉を進め、順次建物を除却整理し国に対し右除却済敷地の使用辞退をしてきたが、昭和二十八年八月ないし同十二月以降土地又は家屋使用量を一切居住者らより徴収しないでいるもので、現在被告ら居住の約三十戸が立退に応じないで残存しているものであること、而して右約三十戸の建物は現在国立名古屋病院の構内に在つて、構内の交通を阻害し各種の面において同病院の障碍となつていることが認められる。

以上の事実によると被告名古屋市が本件土地を使用できる権限は昭和二十六年八月九日付前記の土地一時使用認可による昭和二十七年三月三十一日の期間満了とともに消滅し、従つて名古屋市及び名古屋市の借地権に基き該地を占有する爾余の被告らも同年四月一日以降右土地を正当権限に基かないで不法に占有しているものといわなければならない。他に右認定を左右できる主張立証はない。

原告国は右昭和二十六年八月九日の土地使用の認可は単に国有財産管理手続上の形式を整えるためにしたもので、名古屋市の本件土地使用権は昭和二十四年六月十四日付の取消の通告によつて消滅しており、返還期限を昭和二十七年三月三十一日迄猶予したものに過ぎない旨主張し、証人広田昭は右主張にそう供述をしているけれども、仮りに名古屋財務局が右の趣旨で右の如き取扱いをしたものであつたにしても、名古屋市において当時右趣旨の土地使用の認可であることを知つていたという事情は本件全立証によるもこれを認めることはできず、却つて前認定の事実に乙第三号証(昭和二十六年八月九日付認可書)には何等右趣旨の如き記載のないことを考えると被告主張のとおりに理解することはできないというべきである。

被告名古屋市を除く爾余の被告らは国と名古屋市との間の本件土地の賃貸借については借地法の適用を受けるべきであり、被告らが昭和二十一年以降永年右土地に居住し現在に至つているものであるのに、其後国立病院施設拡充の必要を生じ、このために土地の返還を求めることは権利の濫用であると主張する。しかしながら、本件土地は終戦直後の切迫した当時の事情に処するために、政府が名古屋市に対しこゝに罹災市民の応急簡易住宅を建設することを認め、以て旧陸軍省より大蔵省が引継を受けた国有雑種財産である本件土地の応急的活用を意図したものであり、また右土地使用の認可に当つてはさきに認定した如き使用条件の付されていること及び使用認可の期間も当初より各一ケ年に区切られ年毎に更新されてきているものであること、以上前記認定の諸点にてらすと国と名古屋との間における本件土地賃貸借は一時使用の目的のものであつて、国有財産法のほか一般法として民法賃貸借の規定の適用を受けるが、借地法の適用はないものと考えるのが相当であり、またさきに認定した如き目的経過の下に昭和二十七年三月三十一日の期間満了後に被告らに対し本件土地の明渡を求める原告国の請求には何等権利濫用と目すべき事由は見当らないから被告らの右主張はすべて採用できない。なお附言するに、被告らのいうように本件に借地法の補充適用があると考えた場合でも、本件土地使用の基礎となつている名古屋市に対する国の土地貸付は前述の如く昭和二十七年三月三十一日を以て終了しているのであるから、右日時後である現在被告らは本件土地を正当に占有使用できる権限なきものとして、これを原告に明渡すべき義務あることに変りはないといわなければならない。

以上の次第で、原告の請求はさらに判断を進めるまでもなく、全部正当として、これを認容することとし、訴訟費用の負担につき民事訴訟法第九十三条第一項本文を適用し、なお仮執行宣言は相当でないと思料されるから付さないこととして、主文のように判決する。

(裁判官 山内茂克)

当事者目録<省略>

物件目録

(2) 名古屋市中区南外堀町六丁目一番

家屋番号 第十九番

木造亜鉛メツキ鋼板葺平家建居宅建坪十三坪二合五勺

(3) 同番、家屋番号 第二十番

木造瓦葺平家建居宅建坪二十八坪二合五勺

木造瓦葺平家建物置建坪四坪

(4) 同番、家屋番号 第二十一番

木造瓦葺一部亜鉛メツキ鋼板葺平家建店舗付居宅

建坪十六坪

(5) 同番、家屋番号第二十二番

木造亜鉛メツキ鋼板葺平家建居宅建坪十七坪

(6) 同番、家屋番号 第二十三番

木造亜鉛メツキ鋼板葺平家建居宅建坪八坪七合五勺

(7) 同番、家室番号 第二十四番

木造亜鉛メツキ鋼板葺平家建居宅建坪十坪五合

(8) 同番、家屋番号第二十五番

木造亜鉛メツキ鋼板一部杉皮葺平家建居宅建坪七坪二合勺

(9) 同番、家屋番号第二十六番

木造亜鉛メツキ鋼板葺平家建居宅建坪六坪

(10)同番、家屋番号 第二十七番

木造亜鉛メツキ鋼板葺平家建居宅建坪十坪

(11)同番、家屋番号 第二十八番

木造亜鉛メツキ鋼板葺平家建居宅建坪九坪五合

(12)同番、家屋番号 第一番の十

木造亜鉛メツキ鋼板葺平家建居宅建坪十二坪五合

(13)同番、家屋番号 第二十九番

木造亜鉛メツキ鋼板葺平家建居宅建坪九坪二合五勺

(14)同番、家屋番号 第三十番

木造亜鉛メツキ鋼板葺一部瓦葺平家建居宅建坪十四坪七合五勺

(15)同番、家屋番号 第一番の三十五

木造亜鉛メツキ鋼板葺平家建居宅建坪二五勺

(16)同番、家屋番号 第三十一番

木造亜鉛メツキ鋼板葺平家建居宅建坪十一坪五合

(17)同番家屋番号 第三十二番

木造亜鉛メツキ鋼板葺平家建居宅建坪十三坪七合五勺

(18)同番、家屋番号 第三十四番

木造亜鉛メツキ鋼板葺平家建物置建坪二坪五合

(19)同番、家屋番号 第三十三番

木造亜鉛メツキ鋼板葺平家建工場建坪十一坪二合五勺

(20)同番、家屋番号 第三十五番

木造亜鉛メツキ鋼板葺平家建居宅建坪十六坪五合

(21)同番、家屋番号第三十六番

木造亜鉛メツキ鋼板葺平家建居宅建坪十八坪

(22)同番、家屋番号 第三十七番

木造亜鉛メツキ鋼板葺平家建居宅建坪十二坪五合

(23)同番、家屋番号 第三十八番

木造亜鉛メツキ鋼板葺平家建店舗付居宅建坪三十七坪二合五勺

(24)同番、家屋番号 第三十九番

木造亜鉛メツキ鋼板葺平家建居宅建坪七坪七合五勺

(25)同番、家屋番号 第四十番

木造亜鉛メツキ鋼板葺平家建居宅建坪十一坪五合

(27)同番、家屋番号 第一番の三十七

木造瓦葺平家建居宅建坪六坪五合

木造亜鉛メツキ鋼板葺平家建物置兼居宅建坪八坪

(28)同番、家屋番号 第四十一番

木造亜鉛メツキ鋼板葺平家建居宅建坪十坪五合

(29)同番、家屋番号 第四十二番

木造亜鉛メツキ鋼板葺平家建居宅建坪十三坪

(30)同番、家屋番号 第四十三番

木造亜鉛メツキ鋼板葺平家建居宅建坪九坪

(31)同番、家屋番号 第四十四番

木造亜鉛メツキ鋼板葺平家建居宅建坪八坪七合五勺

(32)同番、家屋番号 第四十五番

木造亜鉛メツキ鋼板葺平家建居宅建坪十坪

(33)同番、家屋番号 第四十六番

木造亜鉛メツキ鋼板葺平家建居宅建坪十二坪

図面<省略>

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